自分は何の植物?
「ありの〜ままの〜じぶんになるの〜」
と「アナと雪の女王」の予告編を六本木のTOHOシネマズで
電話営業のお仕事の帰りに1人で観た時の事
覚えている。
震えました。
その時、観に行った映画の本編より
なんならその予告編の方に感動した。
そこからもう6年も経ったのか!
「自分になろう」
「自分の花を咲かせよう」
「ナスは人参にはなれないけど、美味しいナスにはなれる」
的な話し、今はどこへ行っても聞きますよね。
ひまわりの種の中にはひまわりの花を咲かせる為の要素が
最初から全て入っているというような事なんでしょう。
「自分の花を咲かせましょう」
という事は
=自分がなんの花を咲かせる種なのか
自分で認識する必要がある訳で
それって皆さん若い時に気がつくものなんでしょうか?
私の場合は
すでに人生で出会った中の何人かの方々が他界してしまった事で
自分の人生が終わるだろう
あと何年か先というのがなんとなく感じられる
この歳で、やっと、
往生際が悪くなんでもかんでもやっていたところから、
覚悟を決めなければいけなくなってきました。
はよ覚悟しいやw
「か、か、覚悟、決めました」
まずは
震えながら言ってみるところから。
そう思って動いてみて気づいた事があります。
動く前に悩むのがいかに無駄か。
動く前に考えてこうやってみようと自分なりの考え、プランを決める必要はある。
じゃないと「え?何しに来たの?」ってなりますし
私もそうなってました。
ただ動くだけではダメ。
「こうやったらいい成果が出ると思う」よし!やってみよう。
→やってみてどうだったか検証。
→できないところはできる人に相談。
そして進んでみる事でしか進まない。
という事で
「!」となったら進んでみようと思います。
1cmが無理なら、まずは1mmでも、0.5mmでも。
家から実家に帰る時
何時何分の新幹線に乗るには何時までお風呂入って
いくら必要で、何時には家に居てまったりしたい。
よし!
みたいなのと同じだという事だった。
その時に「電車止まってたらどうしよう」
「残高足りなくなったらどうしよう」
「最寄り駅から実家までどうしよう」
うーってなって家から出られなくなる事あった、
しかし、ひとまずは行ってみる。
そうだ、そうやってワシントンにも
1人で観劇に行ったんだった。
これ↓
と今更ながら気づく。今日この頃。
扉は常に開いている
ただ、進むか進まないか
という事なのか。
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